2週間くらい前の話です。
お菓子に使うレモンを手にしたときの感覚の話。
その日は、何事もないのに、どういうわけか
朝からどんよりとした薄い灰色がかった白いベールに
包まれたようなけだるい心地だったのです。
何も日頃と変わらない朝なのですが、訳もなく、けだるい。
「まぁ、こんな日は、ぼちぼち、無理なく、コツコツやろう。」と
思いながら、仕込みを始めました。
そして、お菓子に使うため、人から頂いた無農薬のレモンを
箱から取り出した瞬間、その今までの薄い灰色がかったベールが
そよ風に飛ばされたような、すっきりとした軽やかな感覚を得たの
でした。
「あ・・・これ、この感覚。どこかで、読んだ記憶があるぞ。」
と思い、記憶を紐説くと、高校時代の現代国語の教科書に載っていた
梶井基次郎の『檸檬』です。
「なんか、よく分からないけれど、モヤモヤとした不安の塊に
さいなまれた青年が、野菜屋さんで見つけたレモンを手に持って
気持ちが晴々したりする話だったよなぁ。そして、ビー玉を
口に入れたりして、その感覚の涼しさなんかを気に入っていた
青年の心の動きを書いていたりしたよなぁ。それが解るような、
よく意味が分からないような、そんな気持ちで授業を受けていたぞ・・・。」
と、思いだしたのです。
『檸檬』。
「レモン」。
なるほど。 レモンって面白い。
レモンの黄色って、淡くて、涼しくて、爽やかで、
そして、もったりとした楕円形の形は、横から見ると
まるで銀河系を横から眺めた時の形みたい。
そして、香りがまた爽やかで人を元気にするし・・・
レモンって・・・すごいなぁ~・・・
とあらためて自然のすごさに感動した次第です。
どんなお話だったかなぁ。短いけれど、説明文ばかりで
長く感じる文学作品だった。
あれは、短いから、教科書にはちょうど具合が良くて
記載されたのかなぁ~・・・。なんて、思っていたら、
ちょっと読んでみたくなったのです。
そして、読みました。
なるほど、だらだらとした説明文ばかりで、セリフ部分が
一つもないので、気が合った人には「なるほど、面白い。」
と思うでしょうが、ただ、手に取ってみたときには
「説明っぽいなぁ・・・」という感覚もないではないかもしれないです。
でも、私自身の感覚ですが、最後のシーンにはシニカルな笑いや
呆れや理解やらで、「う~ん、なるほど、そういう感覚も・・・ね。」
という具合です。
ただ、高校の時に文章を読んで感じたのは
「なんだか、この青年、憂鬱な感じ。」でしたが、
その後、様々な経験を重ねた今現在の自分が読むと、
「憂鬱にふるまっているけれど、意外と、底の部分に明るさとユーモアを湛えた
青年なんだなぁ~。」と見方が変わっていました。
高級な物品が陳列してある『丸善』の書店で、美術本を山積みに重ねあげて
その上に『檸檬』を乗せたまま、「しめしめ・・・」という面持で店を去るくだり
のイメージは、どこかの現代アートの展示場でどこかしらの学生さんが作品として
展示しているような、面白く爽やかなオブジェのような印象が心に描かれます。
そして、きっと、主人公の彼が店を去った後に、お店の人が「なんんだ!?これは!?」と
あわてたり、不思議がったりして、本を片付けるのだろうなぁ・・・と想像して、
お話の主人公とはまた違ったイメージではあるけれども、主人公とも同じような
いたずら心で「しめしめ・・・」と面白がっている感覚が脳裏をくすぐる・・・。
そんな、若い感覚が、読み終わった後に、残りました。
「レモン」から連想された
『檸檬(れもん)』(著者:梶井基次郎)のお話でした。
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